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知ればまちがもっと好きになる、福井をめぐる旅 第一回ワークショップ〜エクスカーション〜

2日間にわたって行われたXSCHOOL第一回ワークショップ。その翌日には「エクスカーション」と題して受講生と講師、運営メンバーが福井市内の4箇所をめぐりました。「エクスカーション」とは、訪れた場所で専門家の解説を聞き、自身も現地で体験しながら理解を深めていくツアーのこと。当日はあいにくの雨模様でしたが、受講生たちはワークショップの緊張感とは違った和やかな雰囲気のなか、福井のまちについて知識を深めていきました。

その1:一乗谷朝倉氏遺跡で歴史ロマンを感じる

最初に訪れたのは戦国大名・朝倉氏の城下町跡「一乗谷朝倉氏遺跡」です。ここでは、朝倉氏遺跡保存協会会長の岸田清さんに案内していただきました。

▲岸田さんは朝倉氏遺跡の観光PRを手がけておられます

朝倉氏は103年もの間、越前の国を治め、その城下町は京都に劣らぬ栄華を誇ったと言われています。しかし、1573年に織田軍によって焼き討ちに遭い、消失。城下町はその後約400年間地中に埋もれていたままとなっていました。1967年から始まった発掘作業により当時のまち並みが残っていることが明らかになり、国の特別史跡・特別名勝・重要文化財の3重指定を受けています。

▲「ここは白い犬のお父さんで有名な某携帯電話会社のCM撮影地でもあるんですよ」と岸田さん

武家屋敷や庶民の町屋など、当時の城下町を再現した「復原町並」を岸田会長と歩きながら、それぞれの屋敷のつくりや暮らしの様子について、話をうかがっていきます。

朝倉氏遺跡で注目すべき場所の一つがこの道路。一見何の変哲もない道路なのですが、こちら側からは向こうの様子が見えず、向こう側からはこちら側の様子が見えるという不思議な道なのです。

▲こちら側からは道が曲がっていて向こう側が見えません

▲しかし、反対側からはご覧の通りはっきり見えます!

半信半疑だった受講生たちも、「ほんとだ! 見える!」と驚きを隠せません。道路を行ったり来たりしながら、首を傾げています。

曲がって見えるこの道路ですが、実は直線。石垣の凹凸によって生じる目の錯覚を利用しているもので、侵入してきた敵の姿がいち早くわかるように考えられた「遠見遮断方式」が取り入れられています。日本ではこの場所でしか見ることのできない道路。ぜひ現地で体験していただきたいです!

その後、一乗谷のシンボルでもある「唐門」を通り、日本最古と言われる花壇がある「朝倉義景館跡」や「朝倉義景の墓」、義景の実母や奥方のために建てられた庭園跡などを回りました。

▲唐門は朝倉義景を弔う山門として豊臣秀吉が寄進したとも言われています。門の内側には朝倉家と豊臣家の紋が刻まれています

▲朝倉義景の墓前で真剣にお参りする受講生たち

▲朝倉義景館跡。中央の緑の部分が、日本最古の花壇だと言われています

▲朝倉義景の奥方のために建てられた「諏訪館跡庭園」。当時はさぞかし美しい庭園だったのでしょうね

1時間半のガイドもあっという間に終わりの時間です。
約400年前の歴史から人生の教訓になるような話まで、岸田会長が語る言葉は一つひとつが印象深く、受講生たちの心にもしっかり刻み込まれたはずです。岸田会長、ありがとうございました!

▲最後は一人ひとりと握手。岸田会長と握手した人は、昇進や結婚などいいことが起こるというエピソードもあるそうですよ

その2:一乗谷に伝わる伝承料理を味わう

次に訪れたのは「一乗ふるさと交流館」。こちらで一乗谷地区に伝わる「朝倉膳」をいただきます。一乗谷に一時期滞在していた足利義昭を朝倉義景がもてなしたという17の膳の一部を再現した料理です。

この伝承料理を手がけているのは「一乗ふるさと料理クラブ」のお母さんたち。地元の素材を使い、手間暇かけて丁寧につくっていらっしゃいます。

▲笑顔が素敵なお母さんたち

今回は私たちも朝倉膳のうちの一つ、「呉汁」づくりに挑戦しました!
「呉汁」とは擦り潰した大豆を味噌汁のなかに入れたもの。しかし、お母さんたちがつくる「呉汁」は“大豆のカプチーノ”とも言われており、ほかとはちょっと違った大変手間のかかった一品なのです。

呉汁づくりは二日前からスタート。大豆を二日間水に浸した後、なんと1時間かけて手作業で擦り潰していきます。

▲「ミキサーだと思ったようにきめ細かくならんのよ。やっぱり手で擦るのが一番」とお母さん

受講生たちも挑戦! まずは生の大豆をすりこぎで押しつけるように潰していきます。思ったより力が要り、3人がかりでも必死です。

▲大豆粉を使う地域もありますが、生の大豆を使うのが朝倉風

▲思わず無口になってしまうほど真剣に擦っています

▲次第にペースト状になってきました。もう一息です!

滑らかに擦った大豆のペーストを出汁のきいた味噌汁の中に入れ、吹きこぼれないように加熱していきます。

▲ふわっふわ! 「大豆のカプチーノ」と言われるのもうなずけます

▲火が通っていないと生臭くなり、火が通り過ぎると食感が悪くなってしまう。ふわふわに仕上げるには、熟練の技が必要なのです

呉汁が添えられ、朝倉膳の完成です!

▲料理を盛り付けるお椀やお膳は、地域の家で代々受け継がれたもの。少し欠けたところも大事に使い込まれた証で、愛着がわきます

黒豆と梅を炊き上げたほんのりピンク色の「黒豆ごはん」や里芋を黒ごまで包んだ「ごまころ」、豆腐ではなく大豆を使った「ぜんまいの白和え」や煎り酒という調味料を使った「あえませ」、福井で採れる地からしを和えた「麩の辛子和え」、打ちたての「おろしそば」など、彩りも鮮やかです。

▲いただきます!

頑張ってつくった呉汁はおかわりの列ができるほど大人気! そのほかの料理もホッとする滋味深い味わいで、お腹も心も大満足でした! 福井に残る素晴らしい料理が、この先もずっと受け継がれていってほしいものです。
「一乗ふるさと料理クラブ」のみなさん、ありがとうございました!

その3:新しいまちづくりのかたちを探る

一乗谷をあとにし、路線バスで福井駅方面へ。

400年前の歴史ロマンを体感したあとは、現在の福井のまちについて知識を深めていきます。

到着したのは「えちぜん鉄道」福井駅。福井駅から永平寺・勝山方面や三国・芦原方面に運行している福井の重要な交通インフラの一つで、車内に「アテンダント」という女性乗務員が切符の販売や観光案内を行うなど、きめ細やかな接客サービスを行っています。

えちぜん鉄道は今から15年前に誕生した会社ですが、路線自体は約100年前から存在していました。当時は「京福電気鉄道」が運営していましたが、2000年と2001年に起こった2度の列車衝突事故を機に、国からの命令によって運行が停止されてしまいます。

運行できない電車の代わりにバスが運行することになりましたが、これまで電車を足代わりにしていた学生やお年寄りにとって大きな痛手となり、福井の交通は大混乱に。そこで地域の足として電車を復活させようと、2002年にえちぜん鉄道が設立されることになりました。

▲えちぜん鉄道の伊東尋志専務に当時の様子を説明していただきました

この教訓を生かし、快適で安全な運行を目指そうとスタートしたえちぜん鉄道では、合理化よりもお客様の信頼を得られる運営を目指し、人によるサービスを大切にしています。

▲アテンダントは乗り換え案内から駅周辺の情報まで、乗客のさまざまな要望に応えます

そんなえちぜん鉄道が進めているまちづくりを知るため、次に三国芦原線「田原町」駅へ向かいました。

福井市内にある田原町駅は、一つの駅に「えちぜん鉄道」と「福井鉄道」の2つの鉄道会社が相互乗り入れをしている、全国でも珍しい形態の駅。付近には高校や大学、図書館、美術館があり、年間100万人以上の方が利用しています。

▲吹き出しのような駅のサインがとてもキュート。こちらは2017年度日本サインデザイン賞公共サイン部門で入選しました

▲「駅のサインがおしゃべりしているようなイメージで考えました」と、デザイナーの三田村敦さん。サインのデザインやえちぜん鉄道の新型車両のネーミングなどを手がけました

田原町駅で現在進めているのは「おとえきプロジェクト」。一体どんなプロジェクトなのでしょうか? 引き続き伊東さんに話をうかがっていきます。

「田原町駅の駅舎は昭和20年代から使われており、駅舎をはじめ周辺を整備するにあたって、この駅をどのように利用するか、福井市を交えて地域の住民との話し合いが行われてきました。当初は駅を中心としたまちづくりに懐疑的な声もありましたが、まちの賑わいを想像できるものとして『音楽』と『駅』を結びつけたプロジェクトを立ち上げました」

▲「地域の人たちが目的を持って来ていただけるような駅にしたい」と伊東さん

田原町駅の隣には「フェニックスプラザ」という県内有数のホールがあり、大きな音楽イベントも開催されています。しかし、従来のイベント施設は遮音や遮光といった観点から厚い扉の奥や地下に降りた場所にあり、なかの様子がわかりません。そこで駅を起点とし、もっと多くの人たちに音楽やアートとの接点を増やしてもらおうと、ライブやワークショップが開催できる芝生広場と多目的交流施設「田原町ミューズ」が誕生しました。

▲「田原町ミューズ」はガラス張り。公共交通機関に親しみを持ってもらう狙いもあるそうです

地域の人たちに愛されるデザインを取り入れ、企業と行政がタッグを組んだ「おとえきプロジェクト」。これから田原町駅が音楽とアートでどのように盛り上がっていくのか、とても楽しみです!

その4:松平家ゆかりの地をたずねる

最後に向かったのは、福井県庁のお隣にある「福井市中央公園」。こちらで私たちを迎えてくださったのは、福井市役所 文化財保護課の藤川明宏さんです。

▲1300年以上続く越前町の古刹「朝日観音福通寺」の住職でもある藤川さん。2017年3月まで福井市立郷土歴史博物館の学芸員をされていました

藤川さんには福井県庁周辺エリアの歴史についてレクチャーしていただきました。

「現在の福井県庁はもともと福井城本丸があった場所に建てられています。福井城は江戸時代、徳川家康の次男 結城秀康が築城したもので、本丸を中心に何重ものお堀が同心円状につくられた大変美しいお城でした」

ところが、築城から50年ほど経った時に大火に遭い本丸は焼失。以降、城のシンボルであった天守は再建されませんでした。その後、福井城趾は政府の管轄を経て明治20年代には松平家の所有となり、「松平試農場」という農業試験場として農作物がつくられていた時期もあったそうです。

現在はこの福井城址を中心にさまざまな整備事業が進められており、かつて福井城にあった御廊下橋(ごろうかばし)、山里口御門(やまざとぐちごもん)が当時と同じ工法で復元されています。

▲福井城址のまわりにはほかにもさまざまな歴史スポットが。緑があふれていて散歩すると気持ちが良さそうです

そして藤川さんとともに福井城址の北側に位置する「養浩館庭園」にも足を伸ばしました。

「養浩館庭園は福井藩主松平家の別邸でした。福井城下の飲料水として使われていた芝原浄水から水を引き込んでいたので『御泉水(おせんすい)屋敷』と言われており、大変美しい建造物だったそうです。1945年の福井空襲で建物はすべて焼失してしまうのですが、戦前に調査されていた写真をもとに1993年、今のかたちに復元されました」

数奇屋風書院造の建物内はお茶の精神が取り入れられ、柱の表面もあえて削らず木の皮が残されているなど、自然との調和を大切にしています。

▲屋形船に乗っているかのような開放感が味わえる「櫛形ノ間」

▲屋敷の外に出ると大きな池。まるで屋敷が浮かんでいるみたい!

養浩館庭園を訪れるおすすめの時間帯は晴れた日の午後3〜4時。藤川さんいわく、西陽が差し込み、池のゆらぎが建物の天井にうつってキラキラ光り、幻想的な風景を見ることができるそうです。今回はあいにくの雨でしたが、XSCHOOL期間中の再訪を近い、一行は養浩館庭園を後にするのでした。

一日かけて福井市内をめぐった「エクスカーション」。福井の人のあたたかさと文化や歴史にふれたことで、今回初めて福井を訪れたXSCHOOL受講生も、福井のまちが少し身近になったのではないでしょうか。ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました!

 

(text:石原藍 photo:片岡杏子)


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