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XSCHOOL第二期 パートナー企業をたずねて 〜荒井株式会社編〜

XSCHOOL第二期開講に先駆け、パートナー企業3社を訪れた講師・プログラムディレクターはじめ運営チーム。次に向かったのは、絹織物(シルク)に特化した商品を扱う荒井株式会社です。


全国有数の絹織物産地として歴史を持つ福井

まずは福井と絹織物の関係について少しご紹介しましょう。

繊維業は福井における主要産業の一つ。特に絹織物の歴史は1300年以上も前に遡ります。『続日本書紀』によると7世紀頃には越前国(今の福井)で絹織物がつくられていたのだとか。

江戸時代には、初代福井藩主の松平秀康が藩士の内職として絹織物の製造を奨励。品質改善や販路の拡張をすすめ、福井の絹織物は一躍有名になりました。


さらに明治時代には福井藩士の由利公正が「岩倉使節団」に加わり、欧米諸国を視察します。そこで各国の絹織物を持ち帰り、製織技術の指導や最新鋭の織機を導入したことから、福井は国内有数の高級絹織物「羽二重織物」の産地に成長を遂げました。

その後、レーヨンやナイロン、ポリエステルなどの化学繊維が誕生しますが、肌になじみ、吸湿性・放湿性に優れた絹は現在も衣料品をはじめさまざまな用途に使われています。


時代の変化とニーズに合わせた絹織物を提案

荒井株式会社(以下、荒井)は、福井市に本社を置く絹織物の「産元商社」です。産元とは「産地元売り」のこと。製糸・織物・染色など絹織物の製造に関わる工場とアパレルや商社をつなぐ存在として、福井の繊維産業を支えています。

 

▲荒井株式会社の3代目、荒井章宏さん

 

1950年代の創業当初、荒井は福井でつくられた羽二重織物を主に名古屋の呉服商に販売していました。羽二重織物は「着物の裏地」に使われていましたが、当時は着物約12着分の長さを「1疋(ぴき)」という単位で販売するのが主流だったそうです。しかし、最初から着物1枚分に仕立てたものがほしいというニーズにいち早く応え、小口化。羽二重織物の自社ブランド「福姫羽二重」を立ち上げました。

 

▲自社ブランド「福姫羽二重」は、当時10種類ほどのラインナップがありました

 

時代とともに着物離れが進むなか、1970年代にはスカーフブームが訪れます。なかでも肌触りが良く紫外線を防ぐシルクスカーフは大人気! ブランドロゴを入れたジャカード織りのスカーフは産地でも数多くつくられ、荒井でも当時はスカーフ用生地だけで1200以上の品番がありました。

 

▲バブルの時代に登場した某有名ブランドのスカーフ。見たことがある人も多いのでは?

 

絹織物の文化を守るため、衣料分野からの転換

産元商社の強みは何と言っても商品の在庫を抱えていること。大口注文にも即日即納できるメリットがありますが、一方で衣料分野の場合はトレンドの移り変わりによって注文の数が左右されるデメリットもあります。

そこで、荒井が目をつけたのは産業資材。機能的でほかの繊維より緻密な絹織物の特徴を生かし、1990年代後半から音響用部品としても開発を行いました。現在、産業資材用生地は荒井が扱う絹織物のなかでも大きな割合を占めています。

 

▲同じ絹でも織り方によって質感はさまざま。やわらかさや手触りもまったく異なります

 

「絹織物は衣料品だけではなく、いろんな分野に生かせる可能性があると思っています。福井が長年培ってきた絹織物の文化を途絶えさせないためにも、XSCHOOLが新たなアイデアを生み出すきっかけになればと期待しています」
と、社長の荒井さんは言います。

 

糸から布へ。絹織物の製造現場を見学

今回は荒井の長年のパートナーである山直織物株式会社にも訪問し、絹織物がつくられる工場を見学させていただきました。


▲休みなく動く織機。ガシャンガシャンと大きな音が工場内に響き渡ります

 

絹の原料は蚕が吐き出した繭。蚕が成虫になる前に繭を乾燥させて糸を引き出し、数個の繭から糸を合わせて生糸(きいと)をつくります。

 

▲絹は長繊維に分類されます。なんと一つの繭から引き出された糸の長さは1kmにもなるのだとか

 

山直織物では製糸工場から仕入れた生糸を使って織っていきますが、ここでも福井独特の技が光ります。それは糊づけした経糸(たていと)に水で湿らせた緯糸(よこいと)を通して織る「ぬれよこ」という技法です。糸を濡らすことで生地の密度が高くなり、組織くずれが起きにくいという利点があるそうです。

また、みなさんがよく目にする光沢のある絹織物に仕上げるためには「精錬(せいれん)」という工程が欠かせません。
精錬とはシルクに含まれるタンパク質「セリシン」を取り除くこと。これにより、白くてやわらかい風合いの絹織物が出来上がります。

今の蚕は人の手が加わりすぎて病気をしやすくなったこと、戦時中はパラシュートの生地に絹織物が使われていたこと、戦後は「ガチャンと織れば万の金が儲かる」ガチャマン景気で繊維業が潤ったことなどなど……山直織物の社長、山田清実さんの話は大変面白く、みな興味津々。

 

▲技術改良のため、海外視察にも積極的な山田社長(左)。圧倒的な知識量です

 

半日の見学でしたが、絹織物の機能性や歴史、産元商社が関わるさまざまな企業との信頼関係などを垣間見ることができました。これまで知らなかったシルクの世界を紐解いてみると、まだまだ奥が深そうです。

 

text:石原藍 photo:片岡杏子、出地瑠以


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