たとえフルスイングしても、ホームランを打てるかどうかはわからない。それでも、ホームランを打つバッターは、フルスイングした経験が必ずあるはず。
―「フルスイングできているか?」それが小さなデザインの教室・XSCHOOLの合言葉だった。
XSCHOOLの120日間の軌跡は、福井発表会・総評トークでのドミニク・チェンさんの言葉に表されているように思う。
「現代は多くの情報が瞬時に伝わる、『ウソはバレる』時代です。でもだからこそ、このメンバーたちが、誰かにやらされているわけではなく、自分の意志で本気で取り組んできたことが伝わってきました。」
彼らが “自分ごと”としてプロジェクト・事業をつくり出そうとしていることが確かに伝わった瞬間だった。
ほとんどの受講メンバーが関東や関西に暮らし、福井にゆかりがなかった人も少なくないなかで、彼らがここ福井でフルスイングできたのはなぜだろうか?
その要因の一つが、沢山のオーディエンスに見守られていたことだと私は思う。
期間中、本当に多くの方々がXSCHOOLの現場を見にきてくださった。企業や行政、街の人々、全国各地の福井出身者など、県内外を問わず、さまざまな人が話題にしてくださり、メディアにも取り上げていただいた。
さながら、球場のオーディエンスが見守るバッターボックス。自分がバットを振らなければ何もはじまらない。その緊張感こそが、XSCHOOLメンバーをフルスイングへと駆り立てたのかもしれない。
2017年3月11日、XSCHOOL福井発表会のあと、私のiPhoneにはひっきりなしにメッセージが届いていた。それは、発表会に来てくださった方々からの助言や提案、人や場所の紹介、応援の声だった。
受講メンバーが“自分ごと”として取り組んできたプロジェクトは、発表会を見届けた人たちにとっても “自分ごと” になったのかもしれない。なぜこんなことが起こったのだろうか?
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受講メンバーの一人に、免疫異常による1型糖尿病を患っている方がいる。彼は当初、病気ゆえに食事制限のある人を助けるアイデアを構想していた。彼自身が直面した不自由さによる、強い問題意識から生まれたアイデアだった。しかし、他のチームメンバーからはなかなか共感が得られない日々が続いた。頭では理解できても、心に火がつくまでには至らなかったのだろう。
来る日も来る日も対話を重ね、その後彼らのテーマは「食のマイノリティを救う」ことに昇華された。アレルギーや妊娠、宗教、信条、あるいは言語の壁など、さまざまなシーンで「食のバリア」は存在する。彼らは、病気に限らずさまざまな食へのバリアがある人を「食のマイノリティ」と捉え、その人たちをサポートするアイデアを構想したのだ。
この「昇華」を支えたのは、メンバーたちの互いへの想像力と、自分ごととして考えることを決してやめない姿勢だった。「持病ゆえに食への制限がある」という問題を、他のメンバーは身近な経験になぞらえて捉え直そうとした一方、病気を抱える彼もまた、周囲の視点から自身の問題意識を見つめ直すことで、次第にチームの中で「病気」という枠が取り払われ、より多くの人たちが共感できるテーマへと転換していった。
自分の課題が、だれかの自分ごとに、
だれかの課題が、自身にとっての自分ごとへと昇華したとき、人は同じ夢を見る。
共感・共視できる - つまり社会性を持ったときに、
ともに前に進むことができるのだろう。
私のiPhoneに届いた沢山のメッセージも、一つの証なのかもしれない。
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XSCHOOLから生まれたプロジェクトはいま、新しい一歩を踏み出しはじめている。
見守ってくださったオーディエンスもまた、“自分ごと”になり、球場を盛り上げる応援団になったり、あるいはチームに加入して、バッターボックスに立ちはじめようとしている。いまここで動き出そうとしているのは、街をあげての全員野球なのかもしれない。
世界の先進地も、日本の革新地域も同様に、その土地のさまざまなプレイヤー(市民・行政・企業・金融など)が役割を超えてつながりながら、産業を作り、お金を動かし、学びの場を作り、人が行き来することで新陳代謝している。
この街で好ゲームが続いていくためには、街に関わる人たちが、それぞれに与えられた役割を超えて、“自分ごと”として、フルスイングできるかにかかっているのだろう。この全員野球がはじまったときに、次の時代の都市づくりが現れるに違いない。
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私たちは日々、どれくらい「自分ごと」を広げ、フルスイングできているだろうか?
私もその一人として、バッターボックスに立ってゆきたい。
未来につなぐ ふくい魅える化プロジェクト
Re:public, Inc. 内田友紀
(Photo: 片岡杏子)