福井駅から車で約20分。山道を登っていくと荘厳な佇まいの「大安禅寺」が現れます。法話や坐禅、そしてヨガや音楽イベントなどジャンルを超えた取り組みを行う副住職の髙橋玄峰さんに、僧侶になると決めたきっかけや目指す生き方についてうかがいました。
大安禅寺について教えてください。
大安禅寺は臨済宗の禅寺です。もともとは白山を開いた高僧・泰澄大師がこの土地に「田谷寺」を開きましたが、織田信長の越前攻略によって、この地一帯がすべて焼失しました。それから空白約80年の後、第四代福井藩主、松平光通公が越前松平家の永代菩提所として建立したのが「大安禅寺」のはじまりです。建物はほぼ約360年前に建てられた当時のまま。信仰心の厚いと言われている福井でより多くの人に訪れてもらいたいと、約30年前に寺の敷地内に花菖蒲を植えました。以来、「花菖蒲が咲き乱れる寺」として知られるようになり、初夏に開催する「花菖蒲祭り」では、県内外から多くの方にお越しいただいています。
小さい頃から僧侶として跡を継ごうと思っていましたか?
住職である父親の背中を幼い頃からずっと見続けてきたので、当然意識はしていました。父の法話を聞いたり、寺を訪れるさまざまな方と接したりすることで、僧侶の生き方に興味を持っていましたが、レールに乗るような感じがして、どこかで踏切りがつかない部分もありました。高校からは京都で過ごし、迷いはありつつも跡継ぎとしての使命感をどこかで抱きながら過ごしていましたが、20歳のときに幼馴染の死がきっかけで、はっきりと私の天命であることに気づかされました。親友の訃報を聞いた私はショックを受け、記憶がないほど取り乱していたのですが、気がついたら涙を流しながら故人の前でお経をあげていました。「僧侶の端くれなのに、ひどいお経ですみません」と謝ったら、息子を亡くして一番辛いはずのお母さんが笑顔で私に感謝の言葉をかけてくださったんです。その時、ようやく自分の中の「お坊さん」のイメージがはっきりしたような気がしました。僧侶の一歩を踏み出すよう背中を押してくれたのは、その幼馴染でしたね。
お寺とは、どのような意味合いを持つ場所なのでしょうか?
お寺はインドで「ビハーラ」と呼ばれていて、「憩いの場」という意味があります。みんなが普段から気軽に訪れることができる公園のような存在です。日本ではそこから大安禅寺のようなお殿様の菩提を弔う寺や国の安寧を願う寺など、さまざまな意味を持ちながら寺が建立されていきました。大安禅寺では現在、法話や写経以外にもヨガや音楽フェスなどさまざまなイベントを企画しています。「仏教」や「禅」に親しんでいただくための入口は多い方が良いのですが、お寺の敷居はむやみに低くしすぎてはいけません。一歩踏み入れると凛と背筋が伸び、自分の心と向き合える。そんな空間は大切にしなければと思っています。
高橋さんが僧侶として目指す生き方を教えてください。
よく「ONとOFFのスイッチはありますか」と聞かれることがあるのですが、私にはそういうものがないんです。僧侶は職業ではなく生き方。24時間365日が「高橋玄峰」という生き方なので、OFFになる時は死ぬ時だと思っています。私が好きな歌に「あれを見よ 深山の桜咲きにけり 真心尽くせ人知らずとも」というものがあります。奥深い山に咲く桜は、人が来ないからといって咲くのをやめるわけではありません。陰日向の心を持たず、命を一生懸命咲かせながら生き抜くことができるか、私は常に自分自身に問い続けています。
今後、福井のまちがどうなればいいと思いますか?
高校、大学、修行道場と京都で11年過ごし、今から8年ほど前(2009年)に福井に戻ってきました。あらためて福井で暮らしてみると、このまちはやっぱりいいなぁと思う反面、もどかしく思う部分もあります。福井は全国的に“社長が多い”と言われているように「個」の力がとても強いまち。活躍している素晴らしい人たちが多いからこそ、横のつながりが強くなると良いのではないでしょうか。別に横並びになる必要はありません。それぞれ自分を一番に考えて突き進み、時には互いを認め合いながら手と手を取り合っていけばよいのです。私たち僧侶も「和合専一」の精神で、さらに福井を盛り上げていきたいですね。
(text:石原藍 photo:出地瑠以)
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