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タイムトリップ福井新聞
福井新聞の膨大な記事のアーカイブをさかのぼり、ピックアップした一つの記事から過去と未来を結ぶコラムをつづります。

繊維産業のリバイバルに見る 福井のイノベーションDNA/文・田村大(株式会社リ・パブリック共同代表)

 

▲前日に行われた「福井人絹取引所」開所式の記事。福井で大正12(1923)年頃から人絹織物の製織が始まり、昭和6(1931)年には国内輸出人造絹織物の6割以上を占める。絹糸の需要と供給をつなぎ、時と場所との違いから生まれる価格差を調和させるため、本邦初となる取引所が設立した。(1932年5月17日1面より)

 

 先日、東京のあるファッションデザイナーが手がけるショップで、本人から新作を紹介してもらう機会に恵まれた。そのうちの一点、レーザーカットの加工を多用したシンプルながら個性的なジャケットに目が止まり、その独特の風合いの生地に思わず手が伸びた。絹のような細やかなテクスチャーを持ちながら、まるでレザーのような質量を感じさせるなんとも不思議な素材…。そんな僕の興味を察してか、「それは福井の会社が製造しているものなんですよ」と声がかかる。彼曰く、福井産の合成繊維は独特の質感を持ちながら高機能性を備え、デザイナーにとって心惹かれる素材の宝庫だそうだ。そして、その繊維を生み出す高度な技術はもはやファッションの世界に閉じていない。画期的な心臓手術用素材を開発し、『下町ロケット』のモデルになった福井経編興業。高度な情報技術・機械技術を駆使した生産革命の騎手として知られるセーレン。ほかにも幾多の先端繊維企業が県内に軒を連ねている。

しかし、ここまでの道のりは険しかった。日本の繊維産業はオイルショック以降、競争力を失った。多くの産地が産業転換を図る中、福井は地域の祖業・繊維にこだわった。そして、以前とはまったく違う体つきの産業に蘇らせたのだ。福井の繊維産業は今再び、世界をリードする存在になった。

思えば、こんな換骨奪胎は福井のお家芸だ。越前漆器も、鯖江の眼鏡も、伝統産業の構えは残しつつ新しい産業に衣替えした。こんな福井の産業史はある逸話を思い起こさせる。

 

デンマークを代表するスポーツファッションブランド、ヒュンメルの創業者であるクリスチャン・スタディールは、デンマークの優れた起業家、研究者、芸術家に念入りなインタビューを行い、彼ら彼女らの創造性の源とその発現のプロセスを探求した。その結果、「イノベーションを生み出す創造性とは既存の枠の限界ぎりぎりのところで考え、活動することに関わる能力である」と結論したのだ。

イノベーションとはゼロからイチを生み出すもの、というシリコンバレー流の常識に対峙する、北欧流のイノベーション文化。この独特のDNAは、遠く大陸を隔てたここ福井にも息づいている。「日本の中の北欧」。そんな目線で福井のまちや産業を眺めてみると、これまでとはまた違った景色が見えてこないだろうか。

 

田村大/株式会社リ・パブリック共同代表。東京大学i.school共同創設者エグゼクティブ・フェロー

2005年、東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。人類学的視点から新たなビジネス機会を導く「ビジネス・エスノグラフィ」 のパイオニアとして知られ、現在は、地域や組織が自律的にイノベーションを起こすための環境及びプロセス設計の研究・実践に軸足を置く。 著書に「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」(早川書房)など。

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