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タイムトリップ福井新聞
福井新聞の膨大な記事のアーカイブをさかのぼり、ピックアップした一つの記事から過去と未来を結ぶコラムをつづります。

逆境が生む希望と縁、その先にある今。/文・髙橋要(福井市殿下地区地域おこし協力隊)

福井豪雨が2004年に起こったということをこの記事をみて知ったときに思ったのは、「福井もこの年だったのか」だった。

記事が掲載されている2004年10月23日は、新潟県で中越地震が起こった日。豪雨と大地震という違いはあれど、福井と新潟は同じ年に大きな災害に見舞われていた。
この記事を通してそのことを知ったぼくは、福井に新潟と同じ不思議な縁を感じざるを得なかった。

▲福井豪雨で被害を受けた福井県鯖江市河和田地区の越前漆器産業を応援するため、地元中学生がショートムービーを作ろうと漆器職人を取材した(2004年10月23日21面より)

 

ぼくは現在、地域おこし協力隊として福井市殿下地区で活動している。そもそもぼくが地域づくりに興味をもったきっかけは、新潟県長岡市の木沢という小さな集落との出会いだった。
木沢集落は、冒頭で触れた中越地震の震源となった村。人口は少なく高齢化率も高いが、震災を機に様々な人との交流に生きがいを見出し、地域づくりにも積極的に取り組んでいた。ぼくはそこで暮らす人々の生き生きとした顔に魅力を感じ、新潟に住んでいた2010年から2014年までの4年間、そこでの地域づくりに携わった。

実は、木沢集落と出会う前は、中越地震のことは「そんなこともあったな」という程度ですっかり忘れてしまっていて、当然、震災が起こった年も覚えていなかった。中越地震が身近なものになってからも、2004年という年のことは特に意識してなかったのだが、あるときふと気付いた。
「そういえば、母ちゃんが亡くなったのもその年だった。」
ぼくの母はぼくが高校生のときに他界したのだが、それが2004年のことだった。

そんなことがあったから、木沢集落と自分が出会ったことには何かの縁があったのだと思って生きてきた。そしてここにきて、福井とも同じような縁でつながっていると思い始めたわけである。
福井が豪雨に、新潟が大地震に見舞われた2004年は、ぼくにとっても悲しい出来事の起こった年だった。それぞれにそれぞれの悲しみがあったが、どれも悲しみのままで終わらなかった。木沢は集落の存続をかけた村づくりに乗り出したし、福井ではこの記事にあるような様々な復興の取り組みがあったはずだ。そしてぼくは、前へ歩み続けるうちに新潟と出会い、福井と出会った。

「2004年の縁がぼくらをつないだ」と、2004年の出来事にぼくは意味を見出した。その意味づけが合っているかはどうでもいい。確かなのは、そう思いながら生きている福井での今が、とても幸せだということだ。

 

高橋要/福井市殿下地区地域起こし協力隊

山形県米沢市出身。1988年生まれ。大学院修了後、新潟県の木沢集落で1年間生活しながら地域づくりを学ぶ。その後、京都で青少年支援の仕事に従事。2015年10月に福井市では2例目となる地域おこし協力隊として殿下に移住した。


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